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写真の「チカラ」#14 萩原史郎

約 4 分

自分でしか見せられない表現が重要

私は自然の中に入り込んでレンズを向けることがとても楽しい。その思いは今でも何も変わらず、私の心に根付いている。その大きな信念が、あるからこそ今でも撮り続けることができているのかもしれない。
場所はどこでもいいのだ。近所の公園でも有数の観光地でもそこに自然が存在していれば、平等に私の心は踊る。重要なのは、自分自身の目線で、その場の空気感や色を表現できるのかということだ。自分しか見つけられない「何か」を写真という媒介を通して伝えたい。
小説家は文章で、画家は絵で自分のセカイを表現する。文章も絵もイメージや想像で描けるが、写真は「現場」にいかなくては表現できない。その臨場感やその場の雰囲気がとても重要視されると感じている。

カメラとの出会いは必然だったのもしれない

幼少時代から父の影響でカメラは身近なものだった。小さいながらも遠足などに大型の一眼レフカメラをぶら下げて参加したりと、父から写真を撮る楽しみを教わった。何よりも嬉しかったのは「褒めてくれる」ことだった。幼いながらもそのおかげで「もっといい写真を撮りたい」という思いが膨れていき、結果技術も上がっていった。
そんな父が、「風景写真」という本を立ち上げることになった。嬉しそうに自らレイアウトを引いている後ろ姿は、今でも鮮明に覚えている。父を支えていくという思いもありながらも、自分らしい風景写真を撮るというコンセプトは変えずに撮り続けた。自分の足で自分らしい一枚を求める。そして新しい表現へのチャレンジは今でも欠かすことができない。

風景写真を撮る人に伝えたいこと

「萩原先生のような写真が撮りたい」と言ってくれるアマチュアの方がたくさんいて本当に嬉しく思う。もっと上手くなりたいという向上心もビシビシと感じることができ、追いつかれないよう、いつまでも憧れた存在でいれるようにと、緊張感を感じる日々だ。
そんな人たちに実践してほしいのは、自分の行動を制限せず「自由」に撮影することだ。どうしても団体で行動したりすると自分の思いを周りに合わせて我慢してしまう人が多い。もしさらに踏み込んで自分の世界を表現したいと思うなら、独りで撮ることも時には重要だ。それは何も山奥に行く必要はない。身近な場所にも自然や撮りたい被写体はたくさんあるだろう。気ままに流れるように自分の目の前にあるものと向き合うことで、見えてくることがある。そうすればきっとそこには「なにか」が写っているはずだ。私のように風景写真でも「心象写真」のような作風を撮る人も増えている。それはなんとなく「時代」の流れの中で、私の写真を見てそういう写真を撮りたいという人が増えているのであれば、それはとても嬉しいことだ。昔は「レッスンプロになってはいけない」と先輩写真家に言われたことがある。でも、自分が誰かに何かを教えることで、思いを伝えることができるなら、たくさんの人に自分の思いや技術を教えていきたいと最近よく思うのだ。


萩原史郎 はぎはら・しろう

1959年山梨県甲府市生まれ。株式会社新日本企画で写真誌「風景写真」の創刊に携わり、編集長・発行人を経験。退社後は風景写真家に転向し、写真誌寄稿、コンテスト審査員、写真教室講師、講演会講師、写真クラブ例会指導など幅広く行う。著書多数。最新刊は写真集「色 X 旬」(風景写真出版)。日本風景写真家協会(JSPA)副会長、日本風景写真協会(JNP)指導会員、日本学生写真部連盟(FUPC)指導会員、オリンパス・オリンパスカレッジ講師、富士フイルム・アカデミーX講師。