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写真の今がわかるWeb情報マガジン

写真の「チカラ」 #11 鈴木さや香

約3分
国立競技場が建てられている千駄ヶ谷の町「きっと 空白になることろ」より

メモのように綴り続ける

写真は私にとって「メモ」みたいなものだ。それが束になれば「ノート」になって、さまざま出来事を記録していく。何気ない生活の中に存在し続ける「街」や「人」そして関わる自分の立ち位置。でもそれが日常だからこそ時間とともに忘れてしまう……。それを私は記録の空白と呼ぶ。そんな時間と共に消えていきそうな空白をカメラという媒介を通して、一つずつ丁寧に記録するのだ。
人間とは忘れていく生き物。それをどこか分かりながらも、誰しも怠慢に生きてしまう時もある。けれども、一度振り返り思うのだ、忘れることは何よりも悲しいことだと。だからこそ、私は誰かのために、自分のために、写真を撮り続ける。
写真という「手段」を選んだのは、自分の表現したいもの=具体的な現実なのに、曖昧な情報量が一番伝わるから。写真と出会うまでに、空間デザインを学び動画の制作をしてきたが、初動の思いは作っているうちに鮮度が失われ、どこか「今」が置いてけぼりになってしまうような感覚があった。その時々に感じた思いをスポイルさせることなく伝えるには、やはり「写真」だ。この世界は時間と空白が混ざりながら存在する、厄介な被写体だと思う。

撮って形にすること=写真

自分の個性や小さな物語は足元でしか生まれない。足元とは生きている土壌と言っても良い。旅人なら旅先に、母親なら子どもと過ごした日常の時間に、その人が今いる場所にしか生まれない。私のフィールドは現在「育むことの日々」であることから、今はそこにストーリーが存在するのだ。そしてカメラは、そのストーリーを見えるようにするツールであり、ある意味では日常品と一緒。歯ブラシや靴や枕と変わらない「感覚と必須」の存在だ。すぐ手の届く手元にある当たり前のもの。それは色鉛筆やクレヨンのごとく、自分のイメージに「色(カラー)」を付けてくれる。
そして、記録されたデータたちは、プリントやブックにしたりと最終的な場所に落ち着きわたしの写真となる。今年は、自他の作品販売などに力を入れていきたい。写真を飾ること。見せること。そこに生まれる時間の共有などをより発進させる。どんなにWebが進化しても写真は空間を生むもの、その面白さをアナログで見せたい。


写真と暮らしの研究所コンセプトPV

鈴木さや香  すずき・さやか

撮影は、日常から広告まで。
暮らしに軸足を置き、自分の半径5メートル内くらいを大切に作品を発表している。
3月27日 鎌倉極楽寺にて経営する写真と暮らしの店「AtelierPiccolo」をリニューアルオープン。
暮らしの中の写真をテーマに、作家作品や日用のアイテムまで揃える。
主な写真展「イチニチヒトヒラ」「2通目のLetter」「あなたが目を閉じる時 私の躯を感じるでしょう」キヤノン銀座ギャラリーなど。
2017年一般社団法人 写真と暮らし研究所を立ち上げる。
1982年生まれ。東京都出身。東京造形大学環境造形学部卒業。CMやTVの制作会社を経て、写真家に師事。