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写真の「チカラ」 #25 中藤毅彦

約3分

自己を表現するための手段

実のところ、自分が表現したいことがしっかりと伝わるなら、音楽家でも、ダンサーでも、画家でも良かった。残念なことにそれらに対する「才能」は見いだせなかった(笑)。写真を始めたきっかけは「間口」が広かったこと。取っ掛かり自体はだれでも簡単に入り込める。カメラさえあれば、あとは技術を磨けばいい。そう思い、ライブハウスでミュージシャンを撮っていた。写真での自己表現はやはり自分には合っていた。僕の持論だが、写真は天性の「才能」が占める割合が他の芸術よりも小さいと思う。
しかし、忘れてはいけないのは、撮る技術よりも「何を撮る」のかだ。どういう場所で、どんな人と出会い、何をし、何を感じたのか、そういう体験を記録する。それがすべて集積されたものが「写真」。それはどう生きたのかの「証」が残せるとても素敵な手段だ。
写真のハードルは昔に比べれば低くなり、撮れることが当たり前になった。それはカメラのテクノロジーの進化であり、ありがたいことだ。しかしだからこそ、自分が何を考え、何を表現したいのかが問われる時代なのだ。

時代を写す鏡、それが写真の姿。でもそれは僕の物語だ

技術という意味では僕はそれほどすごいわけではないだろう。しかしそれでいい。僕の写真は、口では言い表すことができない「なにか」で撮っている。それが写真家なんだと思う。
昔の写真を整理していると「こんなに変わったんだな」と記録の意義を感じることがある。このフレームの中は、時間が止まってる。それは何十年の時を超えることができるのだ。それぞれの主張で撮った写真をたくさん見ていると、大きな流れの中での役割を感じる。視線や強度は違うにしても、自分の主観が写り込み、時代の「鏡」となっていく。いまは先が見えないことで不安に感じるだろう。でも僕なりの写真を撮り続けたい。そう思う日々だ。


中藤毅彦 なかふじ・たけひこ

東京都出身。早稲田大学第一文学部中退。東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。 モノクロームの都市スナップショットを中心に作品を発表し続けている。 国内の他、東欧、ロシア、キューバ、フランス、米国など世界各地を取材。ロックミュージシャンのオフィシャルカメラマンを担当。作家活動と共に、東京四谷三丁目にてギャラリー・ニエプスを運営。写真集は『Enter the Mirror』、『Night Crawler』、『Paris』、『STREET RAMBLER』、『White Noise』など多数。第29回東川賞特別作家賞受賞。第24回林忠彦賞受賞。http://takehikonakafuji.com/

※オリンパスページより抜粋