

「私は、権力の横暴には絶対に屈しない。子どもたち、強く生きなさい」。控訴審を終えて、刑務所に連れ戻されようとするテップ・バニー氏はそう叫び、フン・セン政権の弾圧に対して断固たる意志を示した。テップ・バニー氏は、カンボジアの平和・民主化運動の象徴であり、人々の声なき声を代弁するリーダーであった。しかし、政権に囚われし5人の人権活動家の釈放を求める抗議デモを主導中に、彼女は治安警備隊によって連れ去られ、2016年8月15日から約2年間の投獄に追い込まれた。釈放後も、政権からの脅迫は続き、彼女は現在、事実上の亡命生活をアメリカで余儀なくされている。
(撮影日:2017年2月15日、カンボジア・プノンペン)
弾圧に耐えるカンボジアを伝えたい
カンボジアでの活動を11年続け、現地に住んでいた私だが、今は日本に戻ってきている。長い年月日本を離れて感じるのだが、昔よりも「息苦しさ」を覚える時がある。時に、心無い言動が社会に溢れ、誰かを抑圧的に無秩序に傷つけていく。そのような、心の在り方を問い続ける日本にいる今でも、当時を思い返せば、近年のカンボジアでの生活は非常に緊迫した日々だった。カフェで話をしていても、電話をしていても密告や盗聴の恐れがあった。個人やメディアがSNS、または紙面で政権の横暴を批判すれば投獄される。そんなことが「日常」に、当たり前のように存在した。アンコールワットに象徴される、観光立国のカンボジアを思い描いた時、この抑圧された空気感を感じることは難しい。僅かな滞在では、とても穏やかな日常に見えるかもしれない。伝えたい思いや現状がなかなか外に伝わらない。「見えるもの」と「見えないもの」の隙間を埋めてくれるのは写真だ。日々弾圧から自分自身を家族を大切な人を守り続けたいと思う日常に目を向けてもらえるヒントを写真は持っている。それを私は伝えたいのだ。|

普通に生きる権利とは
カンボジアの人々が求めるものは「素朴な幸せ」だ。普通に生きる権利を叫んでいる。だれもが当たり前の如く持ち合わせているはずの権利が、どんどん蝕まれていく恐怖……。それでも現地の人々が立ち上がるのは「子どもたちの未来」のためだ。それを守るために自分の身を挺して戦っているのだ。自分の国を自分たちで守りたい。そういう思いが現地の人々から感じられる。そして、子どもたちですらデモに参加し、土地や家や家族を奪わないでほしいと懇願し、大人たちに頭を下げる。この状況が「異常」でなければ何物なのだ……。
そんなデモや抗議活動も「勇気のある」人でないとできない。いつ自分の身が危うくなるのかわからない中で、多くの犠牲を払い、おかしいことをおかしいと叫ぶ。しかし、数年前から弾圧がより強化され、今は立ち上がることも難しい一党独裁体制に、カンボジアは至っている。真偽不明の疑惑を塗りつけられ、廃刊に追い込まれたカンボジアデーリー。公正な選挙のはずが、野党を解党し、自らの党が第一党になるように仕向ける狡猾さ。そこには「正義」とは程遠い世界が広がっているのだ。
関心を持たない人は動かない。誰しも知ることでしか行動に移せないのだ。だから「知ること」がとても重要で、私の写真をきっかけにカンボジアの現状に関心を持ち、その世界のことを身近に感じてほしい。そして暖かい気持ちで見守ってほしいのだ。目を背けることなく、何が正義なのか……。そういう思考が秩序を生むのだ。
私はこう考える。世界の人々に「写真」というものがあってよかったと。写真のチカラはこの世をいい世界へと導いてくれるもの。写真が「人」をつなげてくれる。いつの日か、彼らの願う子どもに誇れるような未来がカンボジアに訪れた時、私は彼らの歓喜する姿をファインダーを通して一番近くで見つめ、シャッターを切っていたい。

「私たちが闘う理由が分かりますか。それは、子どもたちの未来のためです。祖国から虐げられ、恐怖を植え付けられ、弾圧を受けるような未来ではなく、当たり前の平和と正義が社会に確立され、子どもたちが安心して生きられる。そのような未来のために闘っているのです。子どもたちには、そのような国で生きてほしいのです」と彼らは言う。
(撮影日:2016年3月1日、カンボジア・プノンペン)




(撮影日:2016年7月10日、カンボジア・プノンペン)
(中央)フン・セン政権の弾圧に対して、「平和の行進」を行い、恐怖なき公正な社会の確立を訴える僧侶と人々。彼らは、毎年12月10日の「世界人権DAY」に首都プノンペンで開催される平和集会に参加をするために、地方から約10日間の行進を行い、各地に願いを刻む。ポル・ポト政権時代、「死の行進」を強いられた歴史を持つ人々が、自らの意志で行進を行い、滾る願いで強権体制に立ち向かう。
(撮影日:2013年12月1日、カンボジア・コンポンスプー州)
(右)3月8日の「国際女性DAY」の日、フン・セン政権の弾圧に対して立ち上がる女性たち。彼らは武器ではなく花を持ち、デモを抑え付けてくる武装警察に立ち向かった。
(撮影日:2014年3月8日、カンボジア・プノンペン)

高橋智史 たかはし・さとし
1981年秋田県秋田市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。大学在学中よりカンボジアを中心に東南アジアの社会問題の取材を開始。2007年から2018年までカンボジアの首都プノンペンに在住し、社会問題、生活、歴史、文化を集中的に取材。近年は、同国の人権問題に焦点を当て、取材活動を続けている。主な受賞に2014年「名取洋之助写真賞」、2016年「三木淳賞奨励賞」、2019年「土門拳賞」。著作に写真集『湖上の命』(窓社)、フォトルポルタージュ『素顔のカンボジア』(秋田魁新報社)、写真集『RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い』(秋田魁新報社)。