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写真の今がわかるWeb情報マガジン

写真の「チカラ」 #32 山口 規子

約3分

写真を撮ることの意義を知る

写真を始めたきっかけは、高校生の時に観たNHKスペシャルで沢田教一さんの特集を見たことだ。その番組の中で、彼は撮影したベトナム戦争の写真を1枚1枚見せていた。しかし、それは私にとっては、分断された1枚に見えず、まるで一本のネガフィルムに見えた。戦地で焼けただれた子どもが彼の方に走ってくる。次に来るカットは野戦病院のシーンに変わる。その間のコマは存在しない。それはきっと、撮るのをやめてその子を抱きかかえていたから。写真家は「写真家である前にひとりの人間なのだ」と思ったときに安堵しながらも、そこに隠された人間としての心理を感じ、涙が止まらなかった。それをきっかけに、写真で事実を伝えていく、残していく仕事に就きたいと思い、報道系に憧れるのだ。
しかし、転機はさらにやってくる……。大学は東京工芸大学に進学したが、その講義の中で「自分に向き合う作品作り」という方向性も学び、多面的な側面を持つ面白さを実感するのだ。
そして時は流れ、某出版社の写真部に所属。そこではすべてのジャンルを捉えることを要求された。厳しい現実に直面し、自分自身の「写真作品」を撮る時間が劇的に減っていく日々……。それでもこなさないといけない写真というシゴト。そのギャップに悩みながらも、要求される仕事に邁進する毎日が続く。そんな中、仕事でトルコへ渡航し撮影することがあった。そのときに写真を撮る楽しさに触れ、退社して自分のセカイを表現する「一個人の写真作家」を目指した。仕事を辞めることで、自分の作品を撮る時間をつくりたかったのだ。

自分が伝えたいことをストレートに写真へ込める

ところが世の中はそんなに甘くない。理由はフリーになっても「仕事が減らなかった」のだ(笑)。むしろどんどん増えていく。それでも、自分自身でスケジュールが調整できるようになったことで、作品撮りの時間を捻出していた。
私にとっての「写真」とは、何かを残したい、伝えたいという事より、自分自身の感情の記録なのだ。良いと感じた瞬間にシャッターを切る。撮るときに重要なのは「感じること」だ。被写体や物事に撮らされてはダメなのだ。海外での作品撮りもそうだが、私はすぐにシャッターを切らない。到着してすぐはまだまだ気持ちの中に「東京」が存在する。その気持ちを引きずっていては、その場所の「本当の姿」が撮れない。ちょっとして儀式のようなものだ。
写真作品はだからこそ面白い。新しい自分を見つけることができる。撮るという行為は全てにおいて自由で、自分自身を「解放」する行為。
ドキュメンタリー作品を多く残している私にとって、次のテーマは「Make Picture」だ。写真を創るというセカイ。どんなセカイなのか、フェイクなのか……。それこそ新ジャンルだからこそ、楽しみながら作り上げたていきたい。


山口規子 やまぐち・のりこ
栃木県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。㈱文藝春秋写真部を経て独立。女性誌や旅行誌を中心に活動。透明感のある独特な画面構成に定評がある。「イスタンブールの男」で第2回東京国際写真ビエンナーレ入選、「路上の芸人たち」で第16回日本雑誌写真記者会賞受賞。ドキュメンタリーや料理、暮らしに関する撮影書籍は多数。昨今はイタリアのサルデーニャ島、青森県、ダンサーなどを撮り続けている。公益社団法人日本写真家協会理事。